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今の子供達や10代の人たちに思うこと

SNSが主流の時代って、世界が広がりやすい(様々な情報にアクセスしやすい)、顔も名前も知らなくても国を超えて繋がることができる、選択肢が広がる可能性がぐんと上がる、つまり個人が救われる可能性が高くなる良い側面もあれば、

情報の質を見極めるのが難しくそこを突いて利用する大人が近寄ってきたりだとか、要は偏った情報に振り回される可能性もあって、自分の価値基準をいいねとか閲覧数とかの表面的な数字に置いてしまって、そこの数が少ない時に不安になってしまったり自分には価値がないと感じて自己否定的な思考に陥ってしまったりする、懸念がある側面もあると思いますね。

あとネット、SNS上故の匿名性や画面越しに生身の人間がいるという感覚が薄れていく感じも懸念点として挙げられるかなと。

 

実際今の10代かそれ以下の人達ってそういうものが身近というか日常としてそこにあるわけで、そういう世界を生きるってどういう感じなのだろう…とも思えばまあ日常的なものとして無意識で常にそこにあるなのだからあまり気にしていないのかなとも思ったり。

 

個人的には流行ってるもの(厳密に言えば流行っていますよと言われていてあたかも流行している、みんなが好き、みんなが知っていると錯覚させられるもの)をとりあえず消費して、また次のそういう消費コンテンツが出てきてまたとりあえず消費して、といったサイクルが苦手というかなかなかついていけないんですよね、

自分が本当に良いなと思ったものをずっと好きでいるタイプなので、多分現代を生きるには向いていない人間。笑

 

ただ目の前にぶら下げられて消費させられるために作られるものを何も考えずに消費して、その繰り返しをして何が残るんだろうと思ってしまいますが、こういう人間はきっと常に資本主義社会に向いていないのでしょう。笑

たまたま自分にハマって凄く好きなものが人気コンテンツになったっていうことはあると思いますけどね。

資本主義社会って"そういうもの"ですからね〜

 

話戻して、これからを生きる10代かそれ以下、或いは全人類がSNSでの数字を価値基準の指標とする時代になるんですかね。というかもうなってるのかな。

まあ確かに数字ってわかりやすい結果(その内実や過程は置いといて)ではありますけれども。大きい数字掲げればそれにつられて(そこに価値があるんだろうという前提を持って)どんどん人も集まって、注目されていくっていうサイクル作りの基盤みたいなところもありますからね。

 

まあでもそこだけに囚われるというか、まあ確かに広告宣伝として積極的に活用していくのは戦略の一つではありますが(上手く使えば人を救えるかもしれないわけですし)、逆にそこが何もかもの価値基準だとか世界の全てではないということ、

そうじゃない社会もあるということも知っておいて欲しいなとも思いますね

でも流行りものをみんなで楽しむきっかけにするのも楽しいと思うので、それはそれと割り切って、SNSとかいいねの数とか数字は世界というか宇宙の一部でしかない。それが全てだと思っていてそこに潰されてしまうのはあまりにも悲しい。

素直に好きだとか良いなとか思ったらそれが流行っていようがそうでなかろうが、それで良い(けども、流石に情報の質的なところは大人が努力して担保すべきなのではとは思います)

 

要するにSNSの使い方と受け取り方ですね、これは自戒も込めて大人もそう。

SNSの評価に左右されすぎない身でいることってこの時代だと相当厳しくて、どうしたらいいんだろう、やはり対面でのコミュニケーションの質を上げる努力をするしかないのかなとか思ったり、ただご時世的にそれも難しくなってたり…

 

ある程度の人間に対する諦めみたいなものは大事だと思うんです。例えば私は性悪説を信じているわけではないけれども、基本的に人間って救えねぇろくでもねえ、さっさと滅びてしまえばいい生物だと思っていて。

でもそれを前提に生きていると自分が好きな人達に出会えたりとかたまにいいことがある。そういうことがあったらラッキー。

基本的には支配者都合で躊躇なく爆弾落とすし銃撃つし自己防衛本能で人間も動物も殺すしいじめるし、ほんっとにろくでもねえ救えねぇ生き物なんですよ人間なんて。そんな感じで生きてます。諦めてはいるけど諦め切ってはいないこの絶妙なバランスをなんとか保ってどうにか生きています。

 

この諦めてるけど諦め切ってはない絶妙さをどう伝えていけばいいかなとそんなことを考えていました

 

どうせならみんなにラッキーが舞い降りてくればいいのになーと思ってます。確かにラッキーをラッキーと認識する努力は必要だけど、そもそもラッキーがなかなか舞い降りてこなかったりするしその努力する気さえも削がれる閉塞的な世の中だったりする。

 

しんどいけどやっぱり若い人達には未来に絶望はして欲しくないし一人でも多くの人に一瞬でも生の充実を味わって欲しいし希死念慮抱えながら生きてほしくないし

私も負の再生産は一切望んでいないのですよ。

 

まあ最終的には若い人達に自己責任論を押し付けないように大人達が努力すべきってところに落ち着きますね

頑張りましょう

ユーキさんお誕生日おめでとうございました

今までというかこれからも、3次元の方(2.5次元であれ生身の人間)は変な意味では好きにならないことを決めています。

 

2.5次元の方々は私が2次元に対する感覚で色々な人に好きになられてしまいがちだと思うのですが、個人的にはどうしても相手が生身の人間だと考えると120%の好きをぶつけられないんですよね。

 

好きというか、勝手に期待を押し付けられて期待通りにならなかったら、期待に応えられなかったら勝手に失望されたりするのを繰り返してきた20数年を生きてきたので、そのしんどさを知っていると(まあ期待されているスケールが違いすぎるので一緒くたにするのもなとも思いますが)、どうも個人を好きにはなれないというか、そこを好きになるのは違うんじゃないかと思ってしまいます。

 

それでも、ファンの方々の期待や求めてることに応えようと真摯なユーキさんの姿はライブを見ればすぐにわかります。本当に伝わってくるのとしっかり超特急のユーキに何が求められているのかを理解してそれに一生懸命応えているのが伝わってくるから凄いなという気持ちと期待と理想に押しつぶされないかの不安が…いや、魂の力で全部跳ね除けるからないか(^o^)

 

個人的にはご本人がギャップ売りが自分の強みとわかっていて売っているのであれば、割り切れているのであれば(なんかもう振り切ってる気がする)やっぱりギャップを求めてる方は多いので顧客満足度への努力がすごいですよね。

かっこいいからいつでも悪魔と契約して自己陶酔し続けることが出来るのに、それをしないで自分の魂を守り続けているのが素晴らしいです。

あくまでも超特急のユーキさんという立場ではですけどね。

 

個人的に人格を消費するのって結構キツくて、やっぱりアーティスト的な(アイドル的な)振舞いをしなければならない側面とそうじゃない(プライベート)な時のその人もいるわけじゃないですか。

なのでアーティストじゃない内面まで影響があったら怖いというか可哀想というか、〇〇の方が良かったみたいなことを言われるのは割とよくあると思うんです

 

私は多分マイノリティ側に当たると思うのですが特にファンサービスとか精神すり減らして気持ち的に不安定になってしまうくらいならやらなくていい、ステージ上から魂ぶん投げてもらえればそれだけでいいと思っている派なのですが、人気商売である以上そうもいかないのが現実だと思うので、凄いなあと常々思っています。

 

私は年齢的に大人になって、元々ヤバい人間だった(今もか)自覚と人に迷惑をかけまくって嫌な思いもきっとたくさんさせてきてしまった自覚があるので、ある程度そのままの自分みたいなものに蓋をして生きてきているのですが、HUNTER×HUNTERとか諸々自分が好きなものもそうですが超特急の、ユーキさんの魂のパフォーマンスを見るとその蓋をこじ開けられるんですよね…笑

 

個人(直接的な対人関係)にはその蓋を開けないようにしているし、むしろ敢えてそこを開けないことで対人関係が楽しくなってきているここ数年なのですが、まあ相手が直接的な知り合いとかでなかったり2次元とか音楽とか人間ではないものだから迷惑になることがないものに蓋を開けられるのも悪くないなと思うわけですよ。

蓋をしないとすぐ泣くし心動かされてしまうし相当厄介な人間なのですが、たまにそういう自分に戻りたくなる時があって。

 

その蓋の開けどころをコントロール出来る様になったらもっと人生楽しくなるだろうなと思っていて、貴重な蓋開け一要因が超特急の音楽(最近電車の中でも踊り出したくなるのでいよいよマズい)、超特急の皆様、特にユーキさんのステージ上の魂剥き出しのパフォーマンスなんですよ。

ユーキさんの魂を剥き出し場所があることと悪魔と契約せずに自分の魂を保ってそれをぶん投げて下さること(現代ではこれが相当難しいことになっていると思います)、凄く感謝しています。

この現代の世の中で剥き出しの魂に出会えた事実に私は感動しているので。なかなかないんですよこれが。

 

今後彼に、彼らに期待することとかは特に無いですが、どうか魂だけは守り続けていられる環境にいられますように。

 

改めてユーキさんお誕生日おめでとうございました!

ELLEGARDENの好きなところ

本日のトンデモツーマン発表を受けて改めて思ったこと(もちろん申し込みました、申し込むだけなら自由!!!倍率?知らん!!!!)

 

飽き性故になかなか長年好きでい続けられているものってないんですよね。逆に一回これだって思ったら死ぬまで好きなんだろうなと思うくらい極端です。

まあ仮に死ぬまでに気が変わっても、ELLEGARDENが変わっても、確かにELLEGARDENを好きだった瞬間があったことは覚えておきたいです。

でも多分ずっと好きです。

 

ELLEGARDENの好きなところって良い意味で選別意識を感じないところなんですよね。まあこちらの勝手な解釈ではあるんですが。

誰でもどんな人でもウェルカム体制なのを感じます。現にこんなろくでもない人間の私が好きでいてもなんの文句も言われてないから。

 

別にELLEGARDEN好きって言ってもなんのマウントも取れるわけでもなくカースト上位にいられるわけでも権力を誇示できることもお洒落だと思われることもそんな私を好きだと言われることもないと思います。なんなら幅広く人気のあるバンドなので音楽にわかと馬鹿にされるかもしれない。でもそれでも好きです。

ELLEGARDENのファンダムとかないところも好きかもしれません。行き来自由のホームみたいな感覚ですかね〜好きでいなきゃいけない強制力や売上に貢献しなきゃいけない使命感とか(勿論それが悪いことではなく、それを原動力に生きられる人を否定することはありません)そういうのもなく。

 

ELLEGARDENはゆるく全人類ウェルカムなところが好きです、バンドのスタンスも音楽も、個人的には歌詞からもそういうのは感じますかね。

 

私が思う音楽やライブの良さって、選別意識のなさだと思うんですよね。例えるなら世界共通言語みたいな。まあ国によってその国の文化とか諸々大衆受けする音楽ジャンルの傾向であったり、逆に良いイメージがないジャンルもあると思うんですけど。

 

音楽も生業(商売)にするならターゲット層を絞ったマーケティングをせざるを得ないこともあると思うので、別に音楽はこういう在り方でなくてはならないみたいなのはないですけどね。

そもそもファンが売上に貢献しないと商売として成立しないので

 

ELLEGARDENは選別しなかった結果自然と人気がついてきた感じがします(勿論音楽的にキャッチーなのとかコピーしやすいとか他にも色々な要因はあると思いますが)

いやー、素晴らしい…

 

大人になると、色々面倒くさい。金と権力といかに相手にメリットを感じてもらうかとかとにかく利害関係と権力誇示、マウントの取り合い、もう全部馬鹿馬鹿しいってずっと思っている。差別も格差もどんどん広がっていくし。なんで人は共存という選択肢を取れないのか。潰し合い搾取し合い、もう全部アホくさ!!!!!!って叫ぶのと同時に爆音で鳴らしたくなるのがELLEGARDENの音楽です。

 

やっぱりこの競争社会で、競争にあぶれる人、頑張っても人並みになれない人、そもそもの家庭環境の格差、色々あるじゃないですか。そういう人達でも誰でもいいよ、来いよ!的なセーフティネットとしての機能もあると思うんです、彼らの音楽は。

 

こんな世の中だからこそ(というか多分バブル以降ずっとこんな感じなのでは)ELLEGARDENの音楽やバンドとしてのスタンスが貴重に思えるので私は好きです。

いや別にお洒落でかっこよくて流行りをどんどん更新して消費サイクルが早いのも大事というかビジネスとか国際競争力ってやつだと思うんで、それはなんならむしろ良いことだと思うんですが、というか大体はそういうものですもんね。

でもたまにそれが寂しくなる時があって、ただ消費して何か残るのだろうか?とか考えてしまいますが、これはろくでなし逆張り人間の捻くれなので放っておいてください。

 

多分ELLEGARDENは消費するだけで終わらないものを感じさせられるからずっと好きなんだろうな〜

 

 

とりあえず年末のツーマン行きたいな!?!!!笑

今までの人生振り返ると泣く

挫折まみれだったからこそ。

 

今の自分がいるのは支援してくれた、助けてと言った時に助けてくれた人がいてくれたから。

でももしそれがなかったらどうなってた?助けてと言っても助けてもらえなかった人は?そもそも助けてという声すら封じられている人は?助けを求めていること自体を自分自身で気付くことができない人は?助けの求め先を知らない、助けの求め方がわからない人は?などなど

と本当に色々なことを想像します。だから安易に自称強者側には入っていけないです。そもそも強者と弱者、勝ち組と負け組っていう分断自体、個人的には好きではない考え方ですし

 

だから選択肢(今の事例なら頼る先かな、カウンセラーとか職業相談所とか色々、でもこれは全てのことに共通することだと思う)って多く用意されることに越したことはないというか、時代が変わって価値観も変わっていくから増えるに越したことはないし増やし続けるのが社会の責務と思っているのですが…

まあ勿論変わっていくべきところと変わらない方が良いところがあるので、それは社会のニーズに合わせながら臨機応変に対応していった方が良いのですが、いかんせん今の社会は選択肢を削ることばかり考えている気がするので…

 

本当この辺りケアワーカーの給料とも社会の福祉に対する認識とも関係があるんですが、排他的社会になっていたり一度失敗すると這い上がれない社会構造になってるのもなんとも……

 

ちくしょーこんな世の中だけど抗ってやる

超特急のライブさあ

これはジャンル関係なく名盤だと思っているんですが特にこれは屈指の名場面というところがあって、

2時間31分10秒の内の2時間16分5秒〜7秒、この2秒間が凄い。

 

私がコーイチさんの立場だったらユーキさんのこと一生好きになると思いますね。

 

きっとこれが「人を好きになる瞬間」

いや、もはや好きという感情ではないかもしれない。そんなものはとうに超えているのかもしれない。

 

決して金で買う擬似恋愛では手に入らない、苦楽を共にしてきた仲間への「お疲れ様、よくここまで頑張った」という慈悲、これが金で買えないもの、9.99割以上のものが金で買える時代に金では買えない価値が確かにそこに存在している、というのがこの2秒間でわかる。

 

私はこの映像を金で買って観ているとか、ライブやるにもお金かけてるじゃんというのは確かなのですが、確かにその観点で見ればお金なんですが、そういうことではなく、この2秒間が物語るこの2人(グループかな)の関係はお金払うから今すぐこれやってと言われて出来る表情ではないし多分表面的なパフォーマンスでもない(まあ有観客ライブなので多少はファンサービス的な側面もあるとは思うけれども)

 

このライブのMC、曲の一部から当ライブの構成と演出(どこまで細かくかはわからないですが)はユーキさんが中心になって作られたんじゃないかと推測されるんですが、真摯にステージを作って、表現してきている人がこういった仕草をすることに意味があると思っていて

 

コーイチさんは最後のステージを噛み締めて色々込み上げてきている涙だろうなーとは思う。

ユーキさんのこれは……なんだろう……この仲間への感謝と労りと敬意と少しの寂しさとそのあと思いっきり笑顔でパフォーマンスしてる強さと、様々な感情が読み取れる仕草と表情……とりあえずこれがお金で買えない価値か、ということだけはわかった

 

2秒って本当に一瞬だけど、この2秒の情報の濃さとユーキさんの本来の人柄が垣間見れるの(まあステージ上の人柄しか知らんけど、少なくとも構成や演出考えたりダンスの表現力と実力から顧客に対する真摯さは窺えるかと)すごい

ファンダムビジネスについて

良い点

帰属意識を持てる(例えば家族にも学校や会社にも居場所がないと感じていても、ファン同士のつながりによって帰属意識を持てて生きる希望が持てたり、お互いに良い出会いがあったりする)

・結束力の高さと母体数の多さ故に社会への還元が大きい、つまり社会的に大きい影響を与えることができたりもする(B〇Sのファンの方々が自主的に寄付活動をしたというのが個人的に一番印象的なエピソードですね、これはとても理想的なファンとアーティストの相互作用だと思います)

 

疑問点

・ファンダム内の小社会内の経済的格差故の争いが起こりがち(ファンダムとはいえビジネスであり資本主義社会なので、どういう目的をもってどういった応援をするか、応援の仕方は其々。例えば稼いだお金は全部還元する勢いで応援するのか、自分の生活を守りつつ無理のない範囲で応援するのか、テレビしか見ないけど応援はしてるとか、それは人それぞれでいくら自分のペースで応援するとはいえSNSが発達してて影響力を持つ現代では逆に自分のペースで応援する方が難しくなるのではと思います。)

・みんなで幸せになろうという言葉でオブラートに包まれているが、実際のビジネスモデルは宗教ビジネス(マルチ商法とか)っぽいなと感じていて、それって完全な社会的影響なのだろうかと思う(応援する人、そのコンテンツが好きな人の幸せの定義付けや否定をしたいのではなく、これはビジネスする側のやり方の問題のように思っています)

目の前の現実から目を逸らして(臭いものに蓋をして)幸せなことだけを安心して享受出来る社会ならこんなこと言う必要ないのですが、正直今の社会ってそうも言ってられない課題山積みの状況で、ファンダムと教育(これはもちろんアーティスト→ファンの一方通行ではなくて、お互いに考えを共有する機会を増やすことが解決の糸口になるのかも?と思ったり)と楽しみが全部並立したらベストかもしれないですね。

 

 

帰属意識に執着しない身としてはどかのファンダムに加わりに行くよりは個人個人でゆるく連帯して現実的な社会問題に目を向けたい派ですが、幸せの形って人それぞれだしそれを否定する権利は私にはないにしても、

今の日本社会の、まあ日本に限らずどこの国でもあるかもしれないですね、ファン(ファンダム)ビジネスって健全なのだろうか、と考えたりします。とはいえ綺麗事抜きにして資本主義社会なのでお金は必要。

 

でもファンダムっていう社会が生まれることは社会運動、つまり社会へ影響を与えること、問題意識を広めることにも繋がりやすい(が、結束力故に過激思想の偏りや依存性がぐんと高まりやすいことも懸念点)ので、一概に悪いことでもなさそうだけども、お互いどういう方向性で成長していけるかで命運分かれそうなところはあるかもしれないですね。

 

個人的には一人一人がひと個人として自立しつつゆるく連帯するのが理想でそこを目指したいなと思っていますが、SNSが発達してる現代だからこそ人との繋がりをより強固に求める人、人との繋がりを希求している人、というか人との繋がりという概念自体がSNSの無かった頃とは変わっているのかもしれませんね。

福祉についての問題点

金部門

・財源の確保の仕方

・税金の使い方

・福祉従事者の給料が低すぎる(人の善意にフリーライドして、ボランティアという言葉で労働搾取が行われていたり、このような善意行動でお金を求めるのは悪みたいな風潮がある気がする)

 

改善策

・格差拡大を防ぐ(富裕層から取ることだけを考えるのではなく、全体的に給与を上げて人材確保して消費活動を活性化させる、市場に金が回る状況を作るのが先決かと思う

そもそもまず給料が低い且つ激務だと仕事に関する勉強をする時間もなくなる、給料低くて重労働なんてそりゃ人材が集まらない、人材を育てる時間も余裕もなくなる、それがサービス残業ならもう最悪、鬱になる人も増えたらそりゃ貧しくもなるしサービスの質も低下する)

・税金を適切に使う(個人的には福祉従事者に対する考え方を改め、給料を上げることが先決かと思います)

・財源確保も確かに大事だけど現状の税金の使い方を見直すのも同時並行すべきだと思います(マスクにうん億は控えめに言って〇〇すぎます。そのぶんマスクじゃなくて現金配った方が経済対策になったのでは…と今でも思わずにはいられません)

 

ケア部門

・ケアラーのケア(要するに福祉従事者へのケアも必要だということです、これは個人的には今後しっかり向き合うべき問題だと思います、というのは数年前の相模原の事件でそれが可視化されたように思ったので)

・家族が外部に助けを求めやすい環境づくり(これは身近さの観点で地方自治体の役割になるのかなーと思っていますが)

 

改善策

・ケアラーのケアラーにもお金使うべきというかここまで含めての社会保障費と考えていいかと思います。

財源の確保ドウスルンダー勢については先ず税金の使い道について透明化させろとはならないんでしょうか?正直オ○ンピ○クやってる場合ではなかったのではと思わずにはいられません。

・家族が外部に助けを求めやすくするというのも大事だと思っていて、家族だけに負担させればそりゃ社会保障費は減らせるとは思いますが、果たしてそれは適切なのでしょうか。

家族だけで背負いきれなくなったからサービスとしての福祉事業が生まれたのではと思うのですが。

勿論善意だけではやっていけないので公費で賄う必要は生じるのでこの辺り自治体の財力に左右される問題も発生する可能性はあるので、それも見越して街の経済活性化させる必要があるのかなーと最近思いました。

それはさておき、辛い時に適切に助けを求められる先があり、且つ求められる側も応えられる余裕を持つ(つまりここにもお金をかける)ことが今後必要になってくるのかなと。

助けを求める先の選択肢が多ければ多いほど選択者に選択する自由があること、支援者との相性とか諸々、これが大事だと思います。助けを求めることを諦めさせないこと。自己責任問題に矮小化させないこと。

 

しかしここで問題になってくるのが倫理問題だと思っていて、

要するに「使えない(仕事出来ない、金にならない)」「弱者」を切り捨てるのか否か。

ただでさえ生活が大変なのにそいつらのために税金徴収されたくねーよ!と経済的にも精神的にも余裕が無くなっているのが今の日本社会で、その対立(まあ本来はもっとマクロな視点で構造的に問題を捉える必要があるのですが、そこに問題意識を持たれないように上手いことメディアはやってんなーと思います。勿論皮肉です)は今後より深まってくると思いますね。

実は社会保障社会保障費言うほどこの罠にかかりやすくなるという、これも皮肉。

 

 

最終的には倫理の問題になってきますね。

というか普通に格差拡大させるから富裕層からも貧困層からも中間層からも非難轟々なわけで(おそらく不平等感を其々の層が感じているのかと)、

なぜまず貧困層を減らすというかボトムアップさせる方向にならないんだろうか?とずっと疑問に思っていますね。その方が経済成長にもつながっていくと思うんですが…違うのかな。

と同時に、やはり人間は共存という方向には向けないんだなと思いますね。まあ、それでもなんとか自分みたいな思いをする人を一人でも減らす方向に持っていきたいですが。

 

倫理って難しいですよね。