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79話 未来の記憶 感想

・記憶ツアーでは、ジークが見ていたグリシャの一面が本当にグリシャの一側面でしかなかったということ

 

ジークから見えていたグリシャはそもそもエレンに操られていた状態だったのか?という疑問が先ずありますが、最終的には今回はジークの安楽死計画が頓挫した(頓挫したというより、ジークが求めていたものを得て安楽死計画の根本だったものが揺らいだといった感じ?)ということかなと思いました。

 

ジークが俺はエレンを絶対に見捨てないと言ったのは、本来ジークがグリシャにそうされたかったからだと思うんですね。あとはクサヴァーさんとの交流を通して、ある種これは救いだと思ったのか、過去の供養でもあるし、親や近しい人間にこうやって育てられたかったという怒りと渇望もあった(特にグリシャに対しては親であるが故に憎しみの気持ちがかなりあった気がした)のかなと。安楽死計画はおそらくこのグリシャへの憎しみから湧いてきた発想だと思うんですね。

 

ただ今回エレンに操られていないグリシャ自身は、ジークに対してキャッチボールしたり遊んだり等の交流が出来なかったことを悔いていたことを知って、今までジークが見てきたエレンに操作さたグリシャとは全く違く、

ジークがジーク自身の経験に囚われすぎていたこと(これも壁の中の人類と壁の外っていう設定と掛けられてるのも凄い)、まあ要するに結局ジークも無意識にある種のジークの中の壁の中で彷徨っていたとも言えるかもしれない

ジークが知らないグリシャの姿を見て、ジークは自分が思っていること(見えているもの)と他人が思っていること(見ているもの)は違うし、それぞれの持つ思いがちゃんと相手に伝わっているとは限らないこと

 

といったように、作品としては暗に安楽死計画には否定的であることを示しているんじゃないかなというのが今回重要だったのかなと思いました。

ただ単純に安楽死計画なんてダメだ!ということではなくて、ジークを丁寧に描くことで安楽死計画を計画するに至った理由、そしてそれは自身の経験と考え方に囚われている(まあ人類皆そういうところがあると思いますが)

 

私としてはジークとは境遇も凄く似てるし、その境遇から来る考え方やジークの気持ちがわかりすぎるほどわかるんですよ。色々なことがあって、突き詰めればそもそも産まれてこなければ良かったのではないかとなるんですよね。そもそも産まれてこなければこんな思いをせずに、こんな境遇に陥らずに済みます。確かにそうです。ジークの言うことは事実として間違ってはないんですよ。

勿論私が産まれてこなければそれはそれで特に何の問題も無かったわけですが、ひとまずは産まれてきて良かったと思うことはあるんですよね、これは人に言われたのではなく自分自身で思ったこと。

 

なのでジークは今回である種エルディア人含む人が産まれてくるということの概念がガラッと変わって、今後の展開とジークが今後どう思うのか、どんな行動を選択するのかまではまだわかりませんが、少なくとも安楽死計画の根本となっていたものは揺らいだのではないかなと思います。

 

・エレンの未来も誰かに記憶されてる(あるいは今後される)ということ?

 

これはグリシャがそうならエレンもそうなんじゃないの?と純粋に疑問に思いました。誰かがエレンの記憶ツアーをすることがあるんじゃないかなと。

 

・今後は操られる未来など存在しない≒個人の行動で未来がいくらでも変わる、たとえエレンが止まろうとしなくとも

という感じで物語は進んでいく、つまりエレンは何かを犠牲にしなければならないんじゃないかと思います。エレン的自由の捉え方にメスを入れられるのではないかといった感じですかね。

 

余談ですが個人的に前から気になっていて今回で少し繋がった気がしたのが、おじさん(グリシャだったっけ)が何故かミカサとアルミンの名前を口にしてたことがありましたよね。あの描写って今回の話とかなり関係してるんじゃないかなと思っています。

ミカサとアルミンがエレンを止めようとするのか(エレンの考え方に対してそれは違うのではないかと突きつける)、エレンが止まらない性格なのをわかっているからこそ2人はどうするのか、ここで物語の展開が分かれそうですね。いやーもう先のことは何もわかりません笑 

今回はそもそも私の状況解釈が合ってるのかさえ怪しいですし…ここで読解力の低さが響いてきますね!

 

次回はタイトル的に1話の初めの謎のナレーションの伏線回収っぽいですね。楽しみですが怖いです。

次回も震えて待ちます。