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ライブの雑感①

昨日16日、ENHYPENのワールドツアーMANIFEST IN JAPANに行ってきました。

 

事の始まりは友人にENHYPENのグループメンバーを決めるオーディション番組のI-LAND(Abemaでしか配信されていません)を勧めてもらい見てみたらまんまとハマってしまい、朝6時に起きて夜9時までぶっ通しで見る始末でした。

彼らに対してこういう消費の仕方は良くないんだろうなと思いつつも、なんだかんだでパフォーマンスのクオリティの高さが目に留まって見てしまいました。いやーあれは見てる方もしんどかった。

 

そこから軽い気持ちでライブ行ってみたいと思っていたら曲が思いの外自分好みで、気が付いたらファンクラブに入ってファンクラブ先行チケットを申し込んでいました。

ENHYPENの曲っていわゆるザK-POPっていう感じはしなくて(ただ無理矢理ジャンル分けするならK-POPにはなるんだろうけれども)、面白いんですよね。型にはまらない癖になる曲。

初めて聴いてドカンと衝撃が来るというよりは聴いてるうちに気付いたらリピートしてるタイプの曲ですかね。まさにスルメ。聴き心地がいいんでしょうかね?

なかなか1アーティストに対してあの曲もいいこの曲もいいってなることはないし、どの曲が来ても嬉しいのと普通に爆音で音楽浴びたかったのでとりあえずライブ行こうとなり(運良く16日だけチケット取れました)、ライブ当日までかなり楽しみだったんですよね。

 

そもそもアイドル(とはいえ、パフォーマンスが凄く良かったので私にはアーティストに見えた)のライブ?コンサート?に行くのもなかなか機会がないのと、ましてや今までK-POPとは無縁な生活を送ってきたのでこの場に及んで初めてのK-POP系?韓国アイドルのライブでしたので、そういった意味でも楽しみにしてました。

 

 

無事にライブを終えた結果、魔界の扉を開いてしまいました。

これは魔界。沼。これはハマる、そりゃ世界中でブームになる。と思いましたし、本当にメンバーの皆さんも一生懸命パフォーマンスしてくれて、曲も全部好きなので全身で終始音楽を楽しめたのも嬉しくて、本当にすごかったです。結構気合いを入れて臨んでくれたんだろうなと感じるほど圧倒されました。

ひたすらに楽しかったです。メンバーのパフォーマンスに好きな音楽にメンバーのビジュアルに(小声)、途中流れる映像でも世界観を作り上げていて全く飽きたりだれたりしなかったですね。

視覚的にも聴覚的にもとにかく楽しかった。充足感と少しの寂しさはありますが、とにかく消費者側からしても心配になるほどのスケジュールをこなしながら誰一人欠けることなく走り抜けてくれたメンバーに感謝しかないです。

 

私はK-POPに限らずアイドルのコンサートの見方がわからず、とりあえず目は2つしかついてないので優先順位を決めてひたすらNI-KIさんのダンスを目に焼き付けようと決めていて決行しましたが、初っ端からダンスが芸術的すぎて衝撃で、脳が目についていかなかったですね。っていう表現でいいのかな…とりあえず生パフォーマンスが圧巻すぎて頭の中パニックになってました。

なんか今いる場所ですごいことが起こっていることだけはわかるみたいな、そんな感じです。

 

ただ、NI-KIさんを追いすぎた気がしたので(とはいえ一瞬も見逃すまいと覚悟を決めたことに後悔はしていない)、次は他のメンバーさんもちらちら見ようかなと思っています。多分。

 

全体的に歌もしっかり歌ってくれていた印象だったので(口パクとか疎いので本当のところはわかりませんが、多分ほとんど生歌だったかと)、あのダンスしながら歌うの!?ってなってました。

 

他にも言いたいことがたくさんあるんですが、映像やパフォーマンスはより音楽に彩りを加えるためにあるものだと思っていて、本当に彼らのパフォーマンス(今回はNI-KIさんをずっと見ていたのですが)で曲をもっと好きになるし聴きたくなるしライブでのパフォーマンスが蘇ってくるし、

もちろん彼らもアイドルなのでアイドル的な振る舞いを求めるファンにも対応して、もう総合エンターテイメントの極みっていう感じでしたね。

 

私としては好きな曲をさらに好きにさせてくれるようにパフォーマンスをしてくれたのが本当にありがたくて嬉しかったです。

ここからは個人的なアレですが、NI-KIさんは日韓に限らずあの素晴らしいダンスで世界中を魅了して人種差別なんてバカバカしいよね、って言えるくらいのアーティストになって欲しいというか多分なりますよ。エンターテイメントは人種の垣根を超えると信じたくなるくらいのパフォーマンスでした。

 

とにかく感動というかひたすら心を打たれました。本当は細かく曲ごとに好きだったところを書き残したかったのですが、まさかの追加公演があるとのことなので伏せておきます。

追加公演、遠方になりますが迷うことなく行くことを決めました(発表された瞬間行くーー!!!って叫びました)、それくらい良かったです。

音楽楽しい純度120%で楽しめたので、きっとこれが自分の中で大きかったのかなと思いました。

やっぱり偏見なしで色々やってみたり出向いてみたりするものですね。楽しい思い出って本当に大切です。

 

細かいことは追加公演終わった後に!

とりあえずメンバーの皆様、一旦はお疲れ様でした、そしてこれからの未来に幸あらんことを。

79話 未来の記憶 感想

・記憶ツアーでは、ジークが見ていたグリシャの一面が本当にグリシャの一側面でしかなかったということ

 

ジークから見えていたグリシャはそもそもエレンに操られていた状態だったのか?という疑問が先ずありますが、最終的には今回はジークの安楽死計画が頓挫した(頓挫したというより、ジークが求めていたものを得て安楽死計画の根本だったものが揺らいだといった感じ?)ということかなと思いました。

 

ジークが俺はエレンを絶対に見捨てないと言ったのは、本来ジークがグリシャにそうされたかったからだと思うんですね。あとはクサヴァーさんとの交流を通して、ある種これは救いだと思ったのか、過去の供養でもあるし、親や近しい人間にこうやって育てられたかったという怒りと渇望もあった(特にグリシャに対しては親であるが故に憎しみの気持ちがかなりあった気がした)のかなと。安楽死計画はおそらくこのグリシャへの憎しみから湧いてきた発想だと思うんですね。

 

ただ今回エレンに操られていないグリシャ自身は、ジークに対してキャッチボールしたり遊んだり等の交流が出来なかったことを悔いていたことを知って、今までジークが見てきたエレンに操作さたグリシャとは全く違く、

ジークがジーク自身の経験に囚われすぎていたこと(これも壁の中の人類と壁の外っていう設定と掛けられてるのも凄い)、まあ要するに結局ジークも無意識にある種のジークの中の壁の中で彷徨っていたとも言えるかもしれない

ジークが知らないグリシャの姿を見て、ジークは自分が思っていること(見えているもの)と他人が思っていること(見ているもの)は違うし、それぞれの持つ思いがちゃんと相手に伝わっているとは限らないこと

 

といったように、作品としては暗に安楽死計画には否定的であることを示しているんじゃないかなというのが今回重要だったのかなと思いました。

ただ単純に安楽死計画なんてダメだ!ということではなくて、ジークを丁寧に描くことで安楽死計画を計画するに至った理由、そしてそれは自身の経験と考え方に囚われている(まあ人類皆そういうところがあると思いますが)

 

私としてはジークとは境遇も凄く似てるし、その境遇から来る考え方やジークの気持ちがわかりすぎるほどわかるんですよ。色々なことがあって、突き詰めればそもそも産まれてこなければ良かったのではないかとなるんですよね。そもそも産まれてこなければこんな思いをせずに、こんな境遇に陥らずに済みます。確かにそうです。ジークの言うことは事実として間違ってはないんですよ。

勿論私が産まれてこなければそれはそれで特に何の問題も無かったわけですが、ひとまずは産まれてきて良かったと思うことはあるんですよね、これは人に言われたのではなく自分自身で思ったこと。

 

なのでジークは今回である種エルディア人含む人が産まれてくるということの概念がガラッと変わって、今後の展開とジークが今後どう思うのか、どんな行動を選択するのかまではまだわかりませんが、少なくとも安楽死計画の根本となっていたものは揺らいだのではないかなと思います。

 

・エレンの未来も誰かに記憶されてる(あるいは今後される)ということ?

 

これはグリシャがそうならエレンもそうなんじゃないの?と純粋に疑問に思いました。誰かがエレンの記憶ツアーをすることがあるんじゃないかなと。

 

・今後は操られる未来など存在しない≒個人の行動で未来がいくらでも変わる、たとえエレンが止まろうとしなくとも

という感じで物語は進んでいく、つまりエレンは何かを犠牲にしなければならないんじゃないかと思います。エレン的自由の捉え方にメスを入れられるのではないかといった感じですかね。

 

余談ですが個人的に前から気になっていて今回で少し繋がった気がしたのが、おじさん(グリシャだったっけ)が何故かミカサとアルミンの名前を口にしてたことがありましたよね。あの描写って今回の話とかなり関係してるんじゃないかなと思っています。

ミカサとアルミンがエレンを止めようとするのか(エレンの考え方に対してそれは違うのではないかと突きつける)、エレンが止まらない性格なのをわかっているからこそ2人はどうするのか、ここで物語の展開が分かれそうですね。いやーもう先のことは何もわかりません笑 

今回はそもそも私の状況解釈が合ってるのかさえ怪しいですし…ここで読解力の低さが響いてきますね!

 

次回はタイトル的に1話の初めの謎のナレーションの伏線回収っぽいですね。楽しみですが怖いです。

次回も震えて待ちます。

 

 

78話 兄と弟 感想

・エレンとジークのキャッチボールのシーンと安楽死計画について

 

私はジークから安楽死計画を告げられた後のキャッチボールのシーンでエレンがジークからのボールを受け取らなかったのは、暗に安楽死計画には反対してる(わざと受け取らなかった)と予想してまあその後やっぱりそうだとはなったのですが、ますますエレンが戦う理由がわからなくなってきたようなわかってきたような。

 

エレンは多分、ミカサとアルミンを守るために戦っていて(もしかしたら調査兵団の同期もそうかもしれないけど)、エレン的には守るということは壁の中に閉じ込めておくことではなく自由のために戦うことと解釈していると思ったのと、

確かに自分が産まれてこなければこんなことにはならなかったという事実も受け止めながら、その中でならばどう生きるかというのを彼なりに考えた結果、今の彼の行動につながっていると思いました。

 

もとよりエレンはジークに賛同する気はそもそもなく、前提の違いとして

ジークのそもそも生まれてこなければ良かった論も事実として間違いではないが、極論すぎて他の選択肢も取り得ることを見落としていることと、

あとジークは自分の考えていること=みんながそう思っていること、と思っているが、

エレンは調査兵団同期との交流や戦いを通して皆がそれぞれ違う意見を持っていることを知っていて、その上で自身の選択に揺るがない信念を持って行動している

・これは憶測に過ぎないけれども、エレンとしては子供を産むか否かの選択は"個人の選択に責任を持った上での自由"だと思っているから、第三者が勝手に個人に対して子供を持つことができない体にしたり巨人にしたりすることは間違っていると思っている可能性がある(エレンの真意はまだ分かっていないけれども)

 

いや、でもマーレの人間殺しまくってたよな…だから産まなければいいんじゃない、敵を殺せばいいだろ、ということなのか…?

 

ジークが悪いみたいな書き方をしてしまっているかもしれないけれども、正直ジークの言いたいことはわからなくもない。そもそも産まれてこなければその子供は辛い思いもしなくて済むけれども逆に生の充足も得られない。

ただ子供が産まれてきたことに対してどう思うかということは産まれてくる子供にしかわからない。

ジークはリスクマネジメントし過ぎなんですよね。人のこと言えんけど。でもそれは人に押し付け、思考ごと支配できるものではない。

 

・ミカサやアルミン達の行動はどこかでエレンを信じながら、今は周りを上手く利用している状況だと思う

 

多分この二人はある程度エレンと別れる(死別)かもしれない覚悟も持って、でもエレンならこうしてくれるかもしれないという(実際には安楽死計画にはエレンは賛同しないだろうといった気持ちとか)希望も持っている状況なのかなーと思いました。

前回ミカサがマフラーを置いていったのはある種の伏線で、あの時に自分の意思で行動するという覚悟を決めたことの現れの行動だったのかなーと思ったり…

 

ただ、ラストのジークとエレンの頭ごっつん接触でおそらく地ならしが発動してしまうと思うので、アルミンとミカサはエレンの意思によって地ならしが発動したのではないかと思ってしまう可能性がありますよね、おそらくジークとエレンしか辿り着けないあの世界のことを知らないから。

でももしかしたら今後誰かが二人の力を継承して記憶が受け継がれた時に、その継承者があの時の地ならしってそういうことだったの…!?ってなるのかも…

うーん、これはどうなんだろう、結局巨人の継承はされてしまうってことになるから線が薄い気はしますけど…

 

・やっとあの予告の金髪の方の正体わかったような

 

あの子は神というか、もう始祖の巨人を継承した者の行動に委ね力を貸しますよという人なのかな。

私はその後のジークのセリフから、信念を持つ者に手を貸す(加担する)のは信念を持たない人、持っていない人で、それは現実だと例えば選挙に行かない人や情報を見極めようとしない人(思考停止してる人)みたいな感じなのかなと思いました。他にも沢山例え話は出てきますけど。

まあそうですよね、実際権力者たるものは持ち上げる人間がいないと、宗教も信者がいなければ権力者として、宗教として成立しませんから。

ここは展開も表現の仕方もなるほどそう来たかっていうところでした。

 

・次回タイトル「未来の記憶」というワードが引っかかった

 

最初に聞いた時、ん?と思ったんです。未来って予知したり予測したりするもので、要はこれから何が起こるかわからないもので、記憶にはないものじゃないですか。普通なら。

 

でもおそらく、

人間の争いは繰り返されるものであるという事実(確かに歴史を見るとなんか割とずっと戦ってんなという印象、争いって戦争に限らず紛争や人種差別は今も続いていますよね)を表しているのかなと思いました。

あとはエルディア人がずっと戦ってきたことを象徴している?(ループしているということ?)ことなのかなとも、こればかりは来週の話を見ないとわからないですが…

 

今回は後半の畳み掛けが凄かったですね。相変わらず高カロリーなアニメですが、エレンの解像度が少し上がった気がするような思いっきり間違ってもいそうなような笑

 

来週も引き続き!

77話 騙し討ち 感想

・確かに、エレンって何のために戦ってるんだろうと思った

 

最初はただ壁の外の世界を見てみたい(≒自由の身になりたい)からだと思っていたんだけれども、いや確かに今でもそうなのかもしれないけれども、エレンにとっての自由や手に入れたいものってなんなんだろうなと思った。

 

何かを手に入れるという感覚より、支配権(支配というか何でも自分の思う通りに事が進むこと)を持つことを自由と捉えているのかな?ライナー達、ジークとは根本的なところから食い違ってる気がするんだけど…

とはいえライナー達とジークが同じというわけでもないけど、少なくともどちらも巨人の継承、殺しという最大の暴力の頂点というか巨大権力の奪い合いは望んでいないんじゃないか?ライナー達は後世に巨人継承をさせたくない(≒全てを殺していい権利、巨大権力を巡る争いはもうたくさんだということ)、

ジークはもとより巨人継承は避けられないものだと思っているから、ならばそもそもこの世に生まれてこなければ良い、そうなればこんな争いはしなくて済むという、間違ってはないし、私が子供を持ちたくない理由もこんな感じなので一概に否定は出来ないけど、だからといって他者を殺していい理由にも巨人化させていい理由にもならないよねっていう。

理想的なのはライナー達の考え方かなとは思うし彼らが救われるエンドなら救いは無くはないのかなと、でもきっと明確な答えみたいなのは出ないんだろうな〜とも思う。

そしてエレンの意思の真意は見えないんだけど…アルミンとミカサを壁の外の、何にも脅かされない縛られない自由の世界へ連れていきたいという目的なのかな?でも今はエレンがどうしたいのかわからない、もしかしてアルミンのミカサはどうしたい?という問いはエレンへの問いかけでもあるとか?

 

自由とは何かというフェーズが変わってきてる気がする、自由ってただ単に自分達の邪魔になるものを全て殺しという最大の暴力で無にして(無きものにして)、全て自分の思い通りになることなのか、それともある種の自分自身が縛ってたしがらみから解放されるということなのか、他人の目(他者評価)がない状態なのか…自由って確かに難しい。

 

・ガビが気付いたのは仮想の敵を作って煽られていたということ?

 

これは現代にもある人種差別的な思想と地続きだと思っていて、国とか肌の色とかそういう個人の意思ではどうしようもないもの(子供は出身国も親も選べないし、肌の色に関しては日焼けサロン行くとか美白のために美容皮膚科に行くとかそういうことではなくて、生まれ持ったもの)に勝手にカテゴリー分けされて、嫌悪感だとか悪魔だとか好き勝手言われて、それが最終的に殺し、大量殺戮という行為に繋がってしまうとどうなるかというのは歴史の教訓としてありますよね。

まあそもそも幼少期から刷り込まれてたらそもそも自分が差別しているということに気付けないんですよね、それが疑いのない常識だとか当たり前だとかって言われてしまっているから。

 

多分こういうことについてガビが気付いたんじゃないかなって思って。まあ人間の群れって悪意(とか、自分が優位に立てる立場を維持するためとか)で変な結束生まれるところありますからね〜

そこにガビとファルコ達がどう抗っていくのかっていうのがこれからの見所の一つでもある気がする。

 

・イェレナのあの顔はアルミンの演技を見破っていて、下手な演技してんじゃねーぞってことなのか余計なことしたら殺すってことなのか

 

アルミンは安楽死計画にも反対だしイェーガー派にもなる気はないと思うんですよね。

イェレナはアルミンを相当警戒している気はするけど、敢えて殺しはしないのは、お互い上手く利用しようと考えてるからなのか、まあアルミンを殺せば調査兵団から反感買って処分されるのがわかってるからなのかどうなのか。

まあこの辺はアルミンもイェレナもそれなりに賢くて演技力があるってことでいいかな

 

・ミカサがマフラーを置いていった理由

 

ここ結構大事なところな気がしていて、エレンとある種の決別(とはいえ、完全に忘れるということは出来ないんだろうなと)の伏線かなと思いました。

ミカサはこれからエレンの言うことに従い続けるのか、エレンの考えと行動は違うと感じて自分の考えで物事の意思決定をするのか、で、あのマフラーのシーンは後者の伏線なのかなー。

 

多分、エレンからもらったマフラーを捨てはしないのは、エレンとの過去は捨てない≒記憶にとどめておくという意味で、記憶には残るがその上で今とこれからをどうするのかっていう問いかけにつながるのかなと思いましたが果たして。

 

というかミカサと一緒に行けるの嬉しいですみたいに言ってた金髪女の子が予告2弾で最後の方に出てた光に包まれてた子?に似てた気がしたんですが…誰?

 

 

展開自体は読めないんですが、おそらく最終的にはエレンとミカサの関係がキーになってくるような気がします。ここまだ決着ついてないですし、エレンに対するミカサの思いに割とフォーカスされてる印象なので。

 

78話も震えて待ちます

超特急のユーキさんを通じて考える演じることの誠実さ

表題の通りです。

 

以前は演技をしているとか演じていることって、結局自分の本意ではない振る舞いをしているから嘘でしかないじゃんと思っていて、今でもリアリティのないフィクションは好まない傾向にはあるのですが、ユーキさんのパフォーマンスでひっくり返りました。

 

勿論ユーキさんは仕事としての演者(パフォーマー)なので、むしろ演技してなんぼなところはあるのですが、そこにある種の徹底的な演技(演出の仕方、パフォーマンスと言った方が近いかもしれませんが)による誠実さを感じたんですよね。

演じるとは、パフォーマンスをすることとはどういうことか、自己満を超えて本質を理解した上でのパフォーマンスだということがパフォーマンスで伝わるんですよ。ここが誠実だなと思って。

 

正直、人気商売をしている方々の言葉ってそりゃ仕事柄顧客にとって都合良いことを言うしかないでしょうと心の底で思っているので(営業職でも同じですが)、人気商売の方々の言葉は自分の中ではあまり真偽を問わないというか…嘘か本当か、本心かそうでないかはほとんど気にしてないんですよ。

そもそも本心というのもその時々によって違ってくるので、固定化されるものではないですしね。

 

私はユーキさんではないので、インタビュー等での彼の言葉が全て本当か、本心からの言葉かと言われたらわかりません。

が、パフォーマンスや演じること、顧客への誠実さはパフォーマンスで伝わってくるのでそこの誠実さは素直に受け取っています。

パフォーマンスを通して伝えたいことがあり、それが顧客とのコミュニケーションの手段でそこの誠実さ≒顧客に対する誠実さ、みたいな図式が私の中ではあるんですよね。ユーキさんはダンスから表情管理(曲によっては表情管理しきれず魂が溢れ出てしまっていたりしますが、そもそも顧客と魂のコミュニケーションを取ろうとしてくれる姿勢に惹かれる)まで徹底しているところが誠実で、こういう方って今時なかなか見かけないので、だから自分の中で引っかかる存在になっているのかなと思いました。

 

というか超特急自体、なるべく演者と顧客という隔たりを感じさせないようにする努力がすごいですよね。こういったアーティストは昨今では珍しいのではないでしょうか。これが彼らの強みの一つでもあると思っています。

 

書きながら気付いたのですが、結局演出やパフォーマンスの解釈次第ですよね。演者もどう演出というものを捉えて表現するのかも自由だし消費者側も合うスタンスの人を選べば良い。

別にユーキさんと心が通じ合ってるだとかみんなで一つだとかなんだとか言うつもりはなくて笑、単純にパフォーマンスが素晴らしいのとパフォーマンスの解釈の仕方が自分と近いのかなと感じた次第です。

 

 

また余談ですが、人気商売の方々は確かにファンが望んでいる自分の姿(キャラ)でいなければならないというプレッシャーがあると思うのですが、確かにそれも仕事の一つではあると思うものの、それよりもというかそこはどうでもいいからとりあえずステージ上から変わらず魂を投げ続けてくださればと思います。

他人が望む自分像って一人一人違うので、私のような一般人ならそれぞれに合わせたコミュニケーションが可能ですがユーキさんクラスだとこんなこと出来る訳がないので、とりあえず魂ぶん投げて下さい。でも、それでもなるべく多くの要望に一生懸命応えようとしているユーキさんの姿勢が涙ぐましいといいますか…その頑張りはちゃんと届いていると思います。

 

自分は生身の人間を消費したくないスタンスなのでパフォーマンス以外何も望んでいないものの、職業柄いやそういう人達だけがファンなわけじゃないし、見た目とかキャラも超特急を知ってもらう間口の一つだから気にしなきゃあかんのよ…というのもそうですよねえ…ってなるのでなんとも言えないのがこれまた…消費の仕方も自由ですからね。

 

とりあえずユーキさんを通して得られる気付きって沢山あって、自分がどんどん柔軟になっているのを感じるのでそれだけでも嬉しいということです

Dance Dance Dancing!はいい曲

最近よく聴いてます。

メロディがどこをとっても良いし、曲構成自体も単純なので聴き馴染みやすさもありながらまさにDance Dance Dancingしたくなる曲。

 

イントロのこの掴み良いですよね、長さも丁度良い。

1番A、Bメロはキック(徐々にクラップが加わってくるのも良い)、2番A、Bメロはクラップが目立つ仕組みになってるのが良いですね、どちらも加わると上がる音ではあるけど個人的には上がり方がちょっと違うんですよね。

2番終わったすぐ後のDメロ→大サビ前の流れが凄く好きで、大サビがそんなガツンと来るわけではないんですがそれが逆に心地良い感じ。

 

ただ単に曲も好きなんですが、映像(MV)も含めて好きです。

MVでより曲に彩りが加わった感を感じました。まあMVってそういう役割のためにあるものなので当然といえば当然なんですが笑、こういうシンプルにパフォーマンスを魅せる系(これまたユーキさんの表情が良い)私は好みですね。

 

というかこの曲のおかげで単純に音楽って楽しいなと気付くことができました。

ずっと音楽好きなつもりでいたんですが、色々あってもしかして私は音楽好きを自称してはいけないのかもしれないと思ってずっと封印していました。まあ今でも音楽好きとは言わないようにはしてるんですが(代わりにこのバンドとかアーティストの曲はよく聴く、みたいな言い方にしています)、そう思うと段々好きな音楽とか曲について話すことが億劫になってきてしまって。

 

でもこの曲というか私は超特急の音楽がかなり好きで、入りは完全に曲だったし(メンバーの顔と名前は友達の推ししか知らなかった位なのと顔とかキャラが好きとかが本当にない)、そこにユーキさんの魂とパフォーマンスがプラスで付いてきてラッキーみたいな感じなんですよね。

どこに魅力を感じるかは人それぞれですが、本当音楽が楽しいグループなんですよ。個人的には音楽の新しい楽しみ方に気付かせてくれるところも推したいんですよね。

 

まあそれはさておき、確かに音楽好きとは今でも自称はしないようにしてるんですが、純粋に音楽って楽しいし、音楽って楽しいんだってことくらいは素直に思っていいんだなと思いました。

今までこういう音楽を好きでなくちゃいけないのかなーとか私ってそんなに音楽好きじゃないのかもしれないとかそういうところばかり気にしていたんですが、音楽って楽しいとかそういう音楽を通して得られるものや気持ちを見失ってました。

この曲が音楽って楽しいし色んな楽しみ方があっていいんだなーと素直に感じた決定打になった感じです。私が柔軟になったのか超特急が柔軟にさせてくれたのかわかりませんが、多分どっちもですが超特急のおかげですね、自分が柔軟になって楽しみが広がっていくとか新しい気付きを得られるようになった嬉しさは感じますね。

 

趣味は音楽鑑賞だとか音楽好きとは言いふらしてないからセーフ!一応ここはこれからも気にします、他者とのコミュニケーションに関わりますからね笑

 

 

 

余談ですが一応、今回のアルバムでとあることに関して思うことは無くはなかったし複雑になった部分もあり、そこに関しては制作側はもうちょっと慎重になってもいいのではって思ったこともありましたけどね。コンセプト自体はとても良いと思ったのですが(ロシアンハードベースのサウンドは結構好みだなってことに気付くことができたりしたので)コンセプト故に他国の文化を歴史とともに学ぶ姿勢とかがあればよかったかもしれないですね、これはメンバーだけじゃなくて制作、運営側にも責任はあると思いますが。

 

超特急は音楽も良い!

76話断罪 感想

・リヴァイは生きている?

生きているのではと思った理由→ハンジさんが真っ先に脈を確認したのと、脈を確認させろと言ったフロックの言葉を無視した(≒まだリヴァイは脈はあることがわかったためこいつに殺させはしないと思った)、リヴァイがまだ生きていることを確認したから連れて帰って治療をすればまだ間に合うと判断したか、若しくはもうリヴァイは長くはないと予想したがせめて人間に撃たれる前にゆっくり看取りたいと思い連れ戻そうとしたと思ったけどどうなんだろう…

 

・結局巨人になっても所詮は巨"人"で人間なわけで、過去の戦争を見ても地上戦から海戦、空戦(空襲、爆弾、銃)に変化していて、人間は物理的に空を飛べない(飛行機など機械を使う以外)、泳げる範囲にも体力的な限界がある(船を使う以外)、

さらに空戦は地上より海上より自由度が高いので射撃範囲も広く地上からは見えない場所から爆弾を落とせば地上から行動予測がつかず、効率的且つ確実に人間を殺すことができる。

水のある場所で地続きでもあり、水という物理的な制限がある海戦より余程人を殺せる確率が上がる。あ、でも一応空戦でも空気とか天気とかで左右されるか。でもそれは海戦も地上戦も同じ。

現実での戦争のやり方の変遷をなぞっていると言えると思った。人間はいつの時代も愚か。

巨人が人類の脅威→ならば巨人より脅威になるものを開発すれば支配権は手に入るというのは至極当然の流れで、巨人に銃を持たせるという鬼に金棒的な発想はある意味賢くもあるし愚かでもある。人間が賢くなればなるほど愚かさも増す。やっぱ人間は救えねぇんだよなあ

 

今思いつきましたが「自由に空を飛べる生き物である鳥」が象徴的に描写されているように思ったので、上記の空を飛べるが故の残酷さと空を飛べるが故の希望を対象的に描いているのかなとも思いました。空の飛び方次第≒自由という状態をどう捉えるか、というのが物語の主要なテーマの一つなのかなと現段階では思っています。

 

・ライナーとエレン

ライナー→エレンへの「もう苦しまなくていい」というのは、エレンがパラディ島の人々を守るために戦うこと、要はもう自己犠牲をしなくていい(エレンには自己犠牲という概念はなさそうだけど)ということ?

ライナーも一度は自殺を図っていたし、どこかエレンと似た境遇にあるのと、ライナー自身も苦しんできたからきっとエレンも苦しんでいる(自己犠牲と同様エレンに苦しいという概念はなさそう)と思ってる感じかなあ

自分が同じようなことで苦しんできたから苦しい思いをして欲しくないという気持ちと死んでしまえば全て終わるという考え方自体はわかるから、どちらも責められないけど最終的にエレンとライナーは交わらない気がする。多分どちらかが死ぬか共倒れするかと。境遇は似ていれど前提としてる概念の違いがある気がするから。

 

・オニャンコポンはアルミン、ミカサ達をまた騙そうとしている?あとコニーの意見は至極真っ当というかほんとそれってなった

オニャンコポンが本当のことを言っているのかどうか、疑心暗鬼になるコニーの気持ちは凄くわかるけどまた一悶着ありそう。もし本当のこと言ってたらごめんオニャンコポン。

ここまでくると完全に心理戦になってる気がするけど、多分アルミンが一番賢いからこの心理戦はアルミンが勝つ気がする。多分あと50年は〜のくだりもアルミンなりの思惑があって演技しているだけで、きっと心の底ではアルミンなりの信念が潜んでいると予想。最終的に安楽死計画は阻止したいというのがアルミンの意思なのかなーと踏んでいるけど果たして。

 

・ミカサはアッカーマンだからなん?

私はミカサはアッカーマンの血筋だから自分の意思ではないとエレンに言われたからそう信じ込んでしまっている(要は洗脳されているような状態)というだけで、本心的にエレンに惹かれていると思うんだけど…

あと、アルミンのミカサはエレンを助けたいと思う?というのは物語の核になるんじゃないかと思っていて、ミカサはこれから自分の意思を持っていってそれを貫いていくのではないかと思う。自分の思いとエルディア人の未来どちらを取るか、そしてミカサが今後そのどちらかでどう行動を取るかが物語のキーになっていくのではないかと予想。

 

・次回予告のイェレナの後ろ姿のシーンあれなに?

今のところイェレナがイマイチ掴めないキャラで、安楽死計画の実行を望んでいることはわかったけれども、予告での映像だと空爆に万歳してるように見えたのでもしかしたら人類全員滅んでしまえば平和になるだろう派なのかもしれない。まあ確かに人類は一旦リセットした方がある意味で多少は平和にはなるかもしれない。

でも平和な状態って基本的にはないと思っていて、仮に人間が滅んだとしても動物の弱肉強食の世界は変えられないものだし、完全なる平和が訪れるかと言われればそれはないと思う。

 

今気付いたけど、巨人が人を食う→動物の弱肉強食の世界の時代

その巨人を人間が狩る→動物を人間が狩る、狩りの時代

巨人を利用する人間を殺す→人間同士の戦いつまり戦争の時代

という生物全体での弱肉強食的な歴史もなぞっているのかなーとも思った。

 

進撃の巨人の描くテーマはどれもセンシティブではあるけれども、徹底してリアルな人間の愚かな側面を描くことによってより現実を踏まえた上で生きることが出来るようになるので、個人的には変に人間美化人間賛歌してる人間の上澄みだけを掠め取ったものよりリアルで好きです。

何事もまず現実を直視した上で始まって、そこから自分の意思や信念が形成されていくっていうのが人間が人間である意味だと私は思っているので…

 

次週も震えて待ちます。必ず最後まで見届けます