ネテロとメルエムの戦いは何だったのか①
①力関係(物理的破壊力)
メルエム>ネテロ
現実に例えるとメルエムが核保有してる側(実際におそらく原爆をモチーフにしたであろう爆弾を隠し持っていたのはネテロだが、ここでは現実世界における国同士の物理的破壊力を表すものの比喩とする)
つまり数多の人間なんぞ一瞬で捻り潰せる力を持っている、だから対話で解決しようとメルエムの側は言える。
圧倒的な暴力を脅しより(皮肉にも核抑止力たるものが脅しとしても機能するのだが)、抑止力として機能させようとしているのでネテロよりメルエムの方が真っ当なことを言っているように見える。(でも実際は後にネテロが蟻と人間は絶対に交わらないと言っているように、いくら蟻と人間を居住区画させたところで人間の欲が争いを止めないであろうから客観的な事実を言っているのはネテロな気がする)
②悪意
人間(ネテロ)>蟻(メルエム)
圧倒的な物理的破壊力があっても(肉体が強くても、体術を極めていても)現段階で究極の暴力である人間が開発した核兵器の前では等しく無力であるということ。
核エネルギー自体を否定したいわけではなく、そのエネルギーの使い方の問題ということ。念能力と同じで。
ネテロの「人間の底知れぬ悪意」という台詞が印象的でありそれを的確に捉えていると思う。
核爆弾の前では金も地位も権力も体術も高度な知能も等しく無力。
メルエムの想像する「支配するための暴力」さえも核爆弾一発で機能しなくなることから、悪意は人間(ネテロ)の側が上回っている。
ちなみにネテロが完全なる悪者ではなく(勿論引き金を引いた人間ではあるが)ネテロが国から責任を押し付けられている描写もちゃんとあるのでそこも見逃せないポイントではあると思う。
この戦いについては見る角度によって思うことが沢山あるのだけれども、人間の底知れぬ悪意(と創り出す希望)って無限に見えるので、改めて人間って色んな意味で恐ろしい生き物だと思いながら核兵器の仕組みを調べた本日。
話し合いで解決出来る世界が一番理想ではあるけれども人間の欲は底知れず恐ろしく、国単位で地球を滅ぼせるほどの破壊力を持っているぞと牽制し合って、いや、普通に生活させろやと思いますが自分が死んだ後もずっと課題として残るのでしょうね。
絶対に超えられない弱肉強食の壁がある(国の政府同士で戦争すると決めたら犠牲にさせられるのは国民みたいな構造)
…poison
キメラアント編は様々な角度から見ても本当によく作られている名編なのでまた書きます。