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Twitter以上ブログ以下のつぶやきっぽい何か

クロロってやっぱり最強だと思う

死ぬことに躊躇いがないから

 

人は何故暴力に怯えるのか、また脅しの手段として機能するのかというと、おそらく大半は死にたくないという思いがベースにあって、

しかし権力や銃など物理的な凶器になり得るものや間接的な手段となる金等様々な力を持つ人間次第で自分が死ぬ可能性がある(他者に生存権を握られているように錯覚する感覚)→嫌だまだ死にたくない→なんでもしますからせめて命だけは、

という流れになると仮定したら最も価値があるものは命ということになり、これは確かに、例えば他者の生存権を金という手段によって左右するのが狙いだとしても、生きていなければなければ金にも価値がなくなるし(死んだら金使えない=生きるために金が必要なのであって死んでしまえば金に困ることがない)、

暴力も暴力として機能しないから(生者を暴力で死に至らしめることで暴力は暴力として機能するはず、死人を殴ったところで死人は死人)

 

生者から死者になることって究極の有→無になる現象だと思っていて、だからこそ価値が高い(命の価値とかは各々の価値基準に依存するのでさておき、今は普遍的な話とする)

でもクロロ自身はそこに執着してる様子は見られない(旅団の団員の死には心を痛めている描写があるのは気になるが、おそらくクロロは自身のアイデンティティを自身ではなく幻影旅団という組織に完全に委ねているからではないか?と思ったけけどどうなんでしょ)

 

だから最強。生に執着せず死を恐れないことこそ最強。そもそもクロロ自身は"自身に対する"生死という概念すら薄いのかもしれない。(旅団の団員の死にはそれなりに思いを馳せている様子が見受けられるので)

ヒソカやシルバ、ゼノ戦でも頭脳や判断力が優れているっていう意味でもかなり最強に近いとは思うけど(クロロの念能力の性質上クロロ自身の戦闘力が高いと言っていいのか微妙 いやプロ暗殺者に殺されずに済んでいるから戦闘力においてもかなりのレベルと言っていいか?)

それ以上にマインドが最強なので…死を恐れないから生を脅かしてくるものに対する恐れがないマインドは強い。あらゆる力も通用しない。

 

死に恐怖を感じているのであれば生(または自分を形作る魂や信念)を脅かされること、失うことにも恐怖が生まれて、権力が大きければ大きいほどそれをあらゆる方法で利用するシステムを操作出来る範囲が広がる。総理大臣とか大統領とかそういうポストにいるとやりやすい。

ただだから三権分立とか国民主権とかっていう概念が作られたと思うと人間って凄いなと思う。まあ三権分立とはいえ三権分立の頂点に立ってしまえば、もしくは三権分立を賄賂つまり金で操作するか、逆に三権分立という制度を敢えて悪用というけど悪用するか(或いは三権分立の外で頂点を握るか)簡単に歪められるものなのだけど。国民の扇動は簡単だし。不況にしたりして不安を煽りまくれば生存権を委ねさせるシステムは割と簡単に構築出来ると思います。生を脅かされることへの恐怖と死への恐怖がある限り。

 

で、クロロに話を戻すと(安定の脱線)クロロのマインドを上手く活かせば生きていくのが楽になりそうだけども、代わりに人間として何かを失った気分になると思うのでやはり代償も大きいなと思って、クロロマインドを100%は取り入れきれない自分がいます。90%くらいは取り入れてるけど。

 

幻影旅団編(12〜13巻あたり)でゴン達とクロロが再び対峙したところでのクロロの発言が興味深くて、HUNTER×HUNTERというか冨樫先生の洞察力の深さに興奮しちゃうじゃないか…❤︎状態になってます。

幻影旅団もといクロロ団長は敵や悪と一元化することがしにくい、というか敵や悪というよりも未知、不可解、恐怖という概念を突き詰めた(具現化した?)描かれ方をしているのが痺れる。